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バレーボール女子のワールドグランプリは17日、仙台市体育館などで予選ラウンドの第8戦が行われ、日本は米国に1-3(17-25、19-25、25-21、18-25)で敗れた。
とのことです。
テレビ観戦しましたが、明らかに宮下選手のセット(トス)の精度が悪く、アタッカーが打ち切れないという状況にも関わらず、宮下選手を交代させずにアタッカーを交代させていました。これを見て「ああ、この試合は捨ててでも宮下選手を我慢して試合に出し続け、彼女の成長を促すのかな」と思ったのですが(決勝ラウンド進出は開催地ですので決まっている訳ですし)、3セット目のあの場面で橋本選手と交代させるということは、勝利を捨てていたという訳ではないのでしょう。とすると、あそこまで宮下選手を引っ張った意味がいまいち分かりませんでした。おかげで、アタッカーのリズムは狂ったまま、セッターが代わったからといってどうにもなるものではなかったですね。
思うに、宮下選手は「速いバレー」の呪縛にとらわれているような気がします。ロンドン五輪を終え、「また速いバレーに取り組む」というのは監督や選手らも公言していますし、ここまでの闘いを観ても、「サイドへのセットを、ハイセット(2段トス)を含めて更に速く」というのは見て取れます。この日の宮下選手のサイドへのセット(トス)は、アンテナの外へすっ飛んで行くようなセットが多く見られました。スピードを重視するあまり、アタッカーの打ち易さというものがすっかりスポイルされていた気がします。ベンチの要求通り速いセット(トス)を上げる→アタッカーが打ち切れない、ブロックにつかまる、アウトにする→自分のセット(トス)が悪いのだと思い修正する→ますます合わなくなって行く、といったような悪循環。
監督や選手が「また速いバレーを」と言っていることから、少なくともロンドンでメダルを取った際には「速いバレーはしていなかった」ことは明白です。にもかかわらず、何故「速いバレー」にこだわるのか。ロンドンでメダルを取った時から比べ、ブロックに開いた大穴は塞がり、リベロはオーバーでのセットが可能になっています。それだけでも大きな上積みです。特にブロックは、戦術的に大きな進歩を促すでしょう(ようやく普通になる、とも言えますが)。であるのに、「速いバレー」です。身長が低くても、セット(トス)を上げる為の技術が一級品であるという理由で正セッターの座に座り続けた竹下選手が去り、その竹下選手でさえついぞものにすることのできなかった「速いバレー」を、本格的に全日本でセット(トス)を上げ始めたばかりの若いセッターにやらせようとしているのです。疑問を感じずにいられません。
勘違いして欲しくないのは、「打ち易いセットを」というのは某解説者が言っているような「近代バレーでは絶対にやらないポーンと高く放り上げるようなオープンバレー」をしろ、という意味ではありません。「速さ」と「打ち易さ」の妥協点と言いますか、ぎりぎりアタッカーにコースの打ち分けやブロックアウトする余地を残した「速さ」というものがあるはずです。そこを超えると、この日の宮下選手のようなセットになります。途中出場した橋本選手のセットと、球質を比べてみれば良くわかると思います(とは言え、橋本選手もチーム戦術に従わざるをえないんでしょう、「速く低く」なる傾向が見えますが)。
宮下選手にはぜひ、のびのびとプレーできるような環境を与えて上げて欲しいものです。そしてアタッカーに対しては、打ち易いセット(トス)を。
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