2001年に女子バレーボールの名門、日立の廃部の際、チームの引受先が見つからず解散に追い込まれた苦い経験を持つ監督の米田一典。05年の四国Eighty8Queen(四国エイティ8)立ち上げは、そのときの悔しさがベースにある。
前編より続き。前後編かと思ったら3部作ですか。
活動休止の理由として景気悪化の影響を主因に挙げているが、誤算は他にもある。チーム名に「四国」をつけたのは、4県からの支援を期待してのものだが、現実は違った。他県の企業からの支持は皆無だった。
うーん、なんというか、色々とそもそもの見通しが甘かったというのがあるのではないでしょうか。地域の協力が得られないから存続できない、というより、そもそも地域が協力してくれるところ(チームを必要としてくれるところ)を選ぶべきなのではないかなぁ、とか。