日の丸を着られない者、日の丸を脱いだ者、そして日の丸を背負うということ[管理人の戯言]
(2006-11-15 10:17:00)


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彼女がリーグ戦の最中に妊娠が発覚しそのまま引退した時には、そのあまりの非常識ぶりに激しい憤りを感じて思ったことをそのまま書いたりしました。しかし、彼女にも色々と思うところがあったんだろうとも思うんですね。写真の流出騒ぎや、写真週刊誌への掲載や、バレーボールファンや外野からの期待、プレッシャー、バッシングなどなど、良く良く考えてみれば妊娠など無くても「引退」の二文字に逃げ出したくなる要素はいくらでもありました。なので、もう彼女のことはそっとしておこう、と思っているわけです。

であるにも関わらず、彼女は我々の前に姿を現すわけです。これはもう、「どうぞ好きなように言って/書いて下さい」と言っているようなものです。復帰の意思があるからなのか、バッシングに耐える強い精神力の持ち主なのか、開き直りなのか、何も考えてないのか、そんなにお金に困っているのか。「何も悪いことしたわけじゃないんだから」と開き直れているんだとしたら、それはそれで大物ですけどね。それならきっと復帰もあると思います。素直に応援する気には今はなれませんが…。

日の丸のついたユニフォームを着るということ。日の丸を背負うということにはどんな意味があるんでしょう。人それぞれ、十人十色の思い入れがあると思います。少なくとも確かなのは、それが「日本代表」であることの証だということ。私たち日本国民を代表する存在だということ。確かに現在の商業主義に偏ったスポーツ界、FIVBやJVA、Vリーグなどのあり方を考えると嫌になってしまう気持ちも確かにあるし、日の丸を背負うということに純粋に喜びを感じられないとしたら、それはそれで分かる気もします。辞退者続出などの話を聞くにつけ、実はそれはもう「憧れ」「みんなの目標」「最高の舞台」ではなくなってしまっているのではないかなぁと、寂しい気持ちになることもあります。

かつて私も憧れた日の丸のユニフォーム。それはいつまでも、憧れであり続けて欲しいと願い続けているんですけどね。しかし単に「憧れ」だけでユニフォームに袖を通した者にとっては、色々と過酷な現状が待っています。いつの間にか、それなりの「覚悟」というものが要求されます。厳しいようですが、その「覚悟」がないものは、決してユニフォームに袖を通すべきでは無い、ということでしょう。国を代表する、日の丸を背負うということは、それだけの「覚悟」が必要なことなのだと思うのです。

もちろん、それを強要する気は毛頭ありません。「覚悟」ができなければ、辞退していただければ良いだけなのですから。私が憧れ、しかし遥かに手の届かなかった日の丸を、気安く着て欲しくないという思いがあります。

前述の2人には、その「覚悟」が有る、あるいは有ったのでしょうか。

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